やっぱり顔なんですよねー。
顔ってほんとにすごいと思います。
たとえば、どんな表情でもいいけれど、
はじめが「笑顔A」だったとして、
その次に「真顔B」という表情に移るとするじゃないですか。
「笑顔A」には、「笑顔の純度」や「笑顔の頻度」、「笑顔の傾向」などの
パーソナル情報がどっさり詰まっているし、
「真顔B」にも、「真顔の純度」や「真顔の裏」「真顔の裏の錯綜度」などの
情報が、これまたどっさり詰まっている。
で、その次にくる「笑顔C」に
また「笑顔A」とは違うパーソナル情報が、
いろいろどっさり詰まっている。
さらに「笑顔」から「真顔」の間も
当然のごとくデジタルではないから、
その「表情の推移」に、
これまた、どっさりと情報が詰まっている。
「笑顔」から「真顔」の間に、
もう、宇宙が広がっているといってもいいぐらいですよ。
すごいぞ、顔。
いい顔。写真は、こちらから。
で、そんなふうに他人の顔を見て、
いろいろ察知したり、推測したり、判断して、
「ああ、いい顔だなあ」とか、
「ちょ、ちょっと、いやな顔だぞ」とか思ったりするんですよね。
「あの人、ちょっと嫌みなところもあるけど、
あの笑顔を見たら、根は悪くないんだなと思う」
なんて言ったりするのも、
笑顔の純度がやたら高かったりした場合に生まれる感想なわけで。
そう考えると、どうも、
それぞれの表情の「純度が低い」
「何か別の感情が混じっているように見える」というのが、
どうも、あまり魅力的でない。
「いい顔」への遠回り。
そんなふうに言えるかもしれませんね。
昨日、本棚の本を出していろいろ読んでいたら、
岡本太郎氏のこんな言葉を見つけました。
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よく、したり顔で
四十を過ぎたら自分の顔に責任をもて、
なんて言うやつがいる。
自分の顔に責任をもっているような顔なんて、
考えただけでうす汚い。
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え?そう言われても・・・と困ってしまいますが、
どっちにしろ、どうやって責任をもっていいかわからないんだから、
ホッとするともいえる(笑)
それに、たしかに「したり顔」は、純度が低い。
いろんな感情が混じっていそうだ。
その「したり顔」のめざす「責任」って何だろうな、とは思う。
岡本太郎さんのように、
瞬間瞬間に爆発して生きるのは、
できないにしても(できません)、
瞬間瞬間にできるだけ夢中になって
わが顔に対する責任なんて忘れちまっているうちに、表情の純度がいつの間にか上がっているのが理想だなあ。
恥かいてもいいから、楽しいことを見つけて
とっとと始めて顔のことなんか忘れて過ごす。
顔に対する責任は、放棄で(笑)
そう思うと、ほかにもいろいろ放棄できるものがありそうですね。
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【今日のブログに関連する記事】このときも同じ本から岡本太郎氏の言葉を紹介しています♪
笑われても自分の歌を歌おう。
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