ブログをはじめたときが、47歳。いま、51歳。
過去記事を思い出すと、やっぱり、何か大きく変わっています。
「〇歳のいまが楽しい」
「〇歳になったら視野が開けた」
「〇歳になって、年を取ることが楽しくなった」
という言い方は、だいたい、30才を境に現れてきて、
女優さんなんかが女性誌のインタビューで、
そういうことをおっしゃる。
そのころから、今年より来年、来年より再来年と
年を取っていくことが自覚されるからでしょうね。
「私たち女の子は・・・」と自分たちを総称していた人も
「女の子」をいつまでも使っていてよいのか、
なんて、とても小さなことが気になりはじめたりする。
でも、20代と30代、30代と40代それぞれの違いと、
40代と50代の違いが大きく異なるのは、
やはり、そこに閉経が存在していることだと思いますよ。
(若くしてさまざまな事情により閉経する人もいますが、
50代半ばまでに、ほぼすべての人が自然に閉経するという意味において
大きく違うという意味です)
わたしは、ああ、みんな、にこやかに、おだやかに
そして、静かに閉経を乗り越えているなあ、
と深い敬意を覚えます。(含む 自分)
心のなかで拍手をしています。
女性たちの多くは、40代になったころに
似合う服がなくなったとか、
次第に女性として遇されなくなったとか、
オバチャン扱いされて傷ついたとか、
そういうことは、わりにあちこちで声高に嘆きますが、
それは、まあ、極論すればネタみたいなもんです。
(わたしもたーくさん書いていますから、過去記事一覧からどうぞ)
閉経については、一人静かに受け止める。
何ごともなかったかのようなふりをして、
そのことによる精神的な変化を語ることも、
ほかに比べると圧倒的に少ない。
(やや下ネタに属する感が伴うからでしょうか)
でも、似合う服がなくなったなんてことよりも
大きな事件であることは間違いないでしょうから、
一人ひとりが、それを受けとめ、契機として
次の一歩を歩み出しているんだろうなと思うのです。みんな、偉いな。
女性ホルモンが強力にサポートしてくれて成り立っていた
身体的な「女性的」特徴は、閉経を境に
失われていくことを自覚しないわけにはいきませんし、
「女性らしさ」への周囲からの要求も減少するため、
(ないわけではないが質が大きく変わるし、
そのことによる報酬(特別扱いや楽しさやワクワク感)が激減する)
それは、どこか、さびしくて、切ないものです。
ああ、あんなに短かったんだなーと、
閉経前の自分が愛しかったりもするもんです。
長い間、自分と歩みをともにしてきた「女性であること」を
維持継続するのか、経過観察するにとどめるのか、特訓強化するのか、
自分自身が方針を決める必要も、大げさに言うとですが、
出てくるともいえるわけです。
何事も個人差があるので
閉経がどのような影響を及ぼすのか、
自分以外のことはわかりませんが、
わたしに限って言えば、
以前に比べて、ずいぶん、実務的になったと思います。
仕事に限ってでなく、
家事とかも。いろんな面で。
集中力も増しているんじゃないかなあ。
「50歳になったら楽しくなりました!」
なんて明るすぎて疲れるセリフを言うつもりはありませんが、
友だちにするなら、意外に、
「今のわたしが、一番いいかも」とオススメできる気はしています。
★今日はこちらにも書いています。↓
「思いつき」と「成り行き」をエネルギーに、明日に小さな楽しみをつくる。
【関連記事】今となっては恥ずかしいが、私の閉経スゴロクがお役にたてば。
ある日、突然!不測の事態を心配する。
★その他の記事に興味のある方は↓
こちらから過去記事一覧をご覧いただけます。
一覧のページがすでに2ページになっていて自分がびっくり♪
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