大人の友情には、「無関心」と「無責任」が必要なんじゃない?

 

無関心も、無責任も、

若者の友情には役に立たないけど、

年を取ってくると

その両方が、友情の継続に役立つんじゃないかと思った

という話です。

 

 

ちょこっと、おつきあいください。

 

 

先週、「どうする?Over40」に

京都のまちについて書きました

 

 

室町時代から続く老舗の隣に

人気の抹茶カフェが並んでいるまち。

 

 

老舗のほうは新参者を歯牙にもかけてなさそうだし、

新参者のほうは老舗の敷居が高くて距離をとっている感じだし、

同じ通りに面して建つ目的は

それぞれがそれぞれに明確で、

でも、大きく異なっていて、

互いが互いに無関心な感じ。

迷惑さえかけられなければ、

「好きにして」という雰囲気。

 

 

ただ、どちらも

京都という「まちの景観」には敏感だろうし、

そこに価値を認めているだろうし、

そういう意味では「空間」を共有しているんですよね。

 

 

無関心なままいっしょにいるって、いいな。

 

 

と、そのとき思ったのです。

 

 

そして今週の月曜日、ブログを通じて知り合った

あきらさんに、桜咲く京都でお会いしました。

日仏会館のフレンチカフェで4時間以上、

夢中になってお話しました。

 

 

そのときに、

 

 

無責任さも、物事の継続には

大事なんじゃなかろうか。

 

 

という話になったのです。

 

 

これが、また、胸に響いたんですよねー。

 

 

このブログもそうですが、

「どうする?Over40」というウェブマガジン

面白くあろうと努力はしていますが、

「こうあらねばならない」と考えすぎると苦しくなる。

 

 

自分が作るものの結果に

責任はとるんだけれども、

でも「ま、いいんじゃない?」と

ちょっと無責任でもあったほうが、

トータルに質が上がるんじゃないか、

長続きの秘訣じゃないかという話になったのです。

 

 

この考え方、わたしたち世代の友情にも共通すると思いました。

 

 

もう、お互いが歩んできた時間と人間関係という

固有の土壌に深く根を張ってしまっていますから、

少女のころのように

影響しあい、理解しあい、共鳴しあって

お互いが大きく変化しながら

結びつきを深める・・というようなことはなかなか望めません。

 

 

孤独のタイミングもなかなかあわない。

片方が人恋しいとき、

片方はそうじゃない。

人恋しさのタイミングは

ズレることのほうが多いです。

 

 

語れば語るほど、

互いの距離が、

互いの守るべきものの強固さが、

将来に見つめているものの違いが際立ち、

うっすらと淋しくなることも多いですよね。

 

 

だから、ダメなんだと思うのでなく、

だから、嫌いだと心閉ざすのでなく、

 

 

距離を十分にとって

ときに無関心でいることで関係を育む。

互いが互いの人生に対して

無責任のままでいる。

 



そうやって友情を育みたいなと思います。




無関心と無責任が友情に必要だなんて
大人になったわー。シブイ。


★フェイスブックもときどき見てください♪
日曜以外、毎日♪→

★ちょっと前になりますが、日本アカデミー賞授賞式ご覧になりましたか?
そのときの助演男優賞ノミネート者の名前について↓↓↓
これじゃあ、ただのスナックの店名じゃないか、の巻

★メルマガ配信しています!最新テーマは、この春、49歳で専門学校に入学するの巻&体重増加ストーリー読者編!こちらから読めますよ。⇒


【関連記事】呼吸が合うのはむしろ奇跡なので慈しみたいです♪
「寂しさ」の呼吸が合う、幸せ。

★その他の記事に興味のある方は↓
こちらから過去記事一覧をご覧いただけます。
一覧のページがすでに2ページになっていて自分がびっくり♪
リンク切れなどもあると思いますが、よかったらどうぞうわめづかい

★いつも応援してくださってありがとうございます!クリックしていただくとランクが上がります!ハッピースマイル

にほんブログ村 ミセス系
人気ブログランキングへ

ツイッターもぼちぼちやってます!レス、もっとも速いです。
↓↓↓

Twitterボタン
Twitterブログパーツ
関連記事

スポンサーリンク



コメント

なんと

的を得てるんでしょう。

あまりに そうだと納得して
うっすら 心が寂しくなりました。

でも、心静かに、3月9日の歌詞のように

目を閉じれば、あなたが瞼の裏にいることで
どれほど強くなれたでしょう、あなたにとって、私もそうでありたい

という お互いの距離感と信頼感をもてる 友は
年取ってからの方が作れるような気がします。

  • 2014/04/04 (Fri) 12:25
  • よ #-
  • URL
大人の友情

無関心と無責任。

これがお互い受け入れられる関係って
本質的な部分での信頼感が大前提ですよね。

子育てにおいてもある程度の年齢になったら無関心と無責任は必要なんだな…と最近感じています。

  • 2014/04/06 (Sun) 10:11
  • ハウザー #-
  • URL

無責任と無関心の心地よさ本当にその通りだと思いました。
言葉を変えると自分も相手も両方尊重する事だな~と気づきました。

若いうちは影響しあったりする関係が嬉しかったけど、今は相手を認めてその考え方や人生の背景をそれでいいんだよと 認め合う関係
人間として自立できてるからこそ感じるさみしさがありますが、離れていても環境が違ってもそれを埋めてくれる それが大人の友情だな~と

こちらのブログ人間に対する優しさや人生の深さが盛りだくさんで大好きです。頑張ってくださいね(*^_^*)

ヨーコさん

こちらこそ、素敵なコメントありがとうございます!
「言葉を変えると自分も相手も両方尊重する事」
ほんとにその通りだと思います。
相手に自分への同調を求めると、なかなかうまくいかないんですよねー。

コメントの返事がいつもとてもつもなく遅いですが、
これからもよろしくお願いします。

  • 2014/04/08 (Tue) 17:01
  • Carina #-
  • URL
ハウザー さん

おお!子育てにおいてもですね!
その通りだと思います。

どこかで「責任を放棄」することは
信頼することでもありますもんね。
新しく発見させていただき、感謝です。

  • 2014/04/08 (Tue) 17:02
  • Carina #-
  • URL
よさん

おっ!お久しぶりです!
うっすら寂しくなった?(笑)ごめん、ごめん。

「目を閉じれば、あなたが瞼の裏にいることで
どれほど強くなれたでしょう、あなたにとって、私もそうでありたい 」

ああ、そうですね~。
レミオロメン、いい歌です。

あと懐かしいところでいうと
「会えない時間が愛育てるのさ」とか?笑

  • 2014/04/08 (Tue) 17:04
  • Carina #-
  • URL

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する