文学史上に燦然と輝く
名作「アンナ・カレーニナ」において
幸福な家庭の顔はどれも似かよっているが、
不幸な家庭の顔はどれもこれも違っている。
という名言を残しています。
彼の偉業に心からの敬意を表し、
誠に僭越ながら、
この私も、
必ずや後世に残るであろう一言を
当ブログ上に残しておこうと考えました。
洗練された人の服装はどれも似かよっているが、
ダサい人の服装はどれもこれも違っている。
いかがでしょう。
名言と呼ぶにふさわしい普遍性を備えていませんでしょうか。
この名言(?)、
ティム・ガンのスタイルアップを見た後で、
よっこらしょと立ち上がり、
台所で茶碗を洗っているときに、
ふと思いついたものです。
(名言にふさわしい生活感あふれる誕生秘話?)
ご覧になった方はおわかりかと思いますが、
ティム・ガンとヴェロニカの手にかかると、
自分に自信のないレベッカも
子育て中のニコールも
独身ニューヨーカーのステファニーも
誰も彼も
み?んな、洗練されて、と?っても、美しくなりました。
もちろん、
すべての家庭が不幸から脱却したほうが好ましいように、
すべての女性がダサさから脱却したほうがいいに決まっています。
が
幸福な人の身の上話が概ね退屈なように
洗練された女性の美しさも
退屈といえば退屈と言えなくもないかもしれない・・・・
そんなことを考えていたら、
ku:nel (クウネル) 2009年 09月号で
万城目 学氏のコラムと出会いました。
「ダサさ」で世界は回っている
どうですか。このタイトル。
ダサさの再評価。
ダサさの価値の再発見。
もう、これだけで、なんとなく
ホッとして、救われたような気分になったのは、
私がすでに十分に、
ダサいってことの
証かもしれません。
ダサい個性を貫くか。
洗練された没個性に輝くか。
う?ん、
やっぱ後者のほうが
勝ち組っぽくてよいですかね。
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