先週の土曜日は、仕事で朝4時ぐらいまで起きていたんです
(正確には、日曜日の朝ですね)。
だから日曜日は、立て続けにあくびが出る日だったのです。
ありませんか。あくびがどこまでも、いつまでも出る日。
わたしは、それを、
思いっきり、あくびをすることでストレスや疲労を体外に排出する
「大あくびデトックス法」だと考えたいですね。
汲めども尽きせぬ泉のような、
こんこんとわき出る温泉のような、
そう、あくびの源泉かけ流しといってもいいなあ。
癒しの源泉。
寛ぎのパラダイス。
もう、あごだって、はずれちゃっていい!
涙だって流れるままにしておこう!
なんなら鼻水も出ちゃっていいよ!
一種のグチャグチャリラクゼーション!
そんなあくびを、日曜の午後に、ソファで思いっきり楽しんでいたのですよ。
そのときです。
「前から思っててんけど、
何で、そんなに大きなあくびするん?」
というぞっとするほど冷たい声。
まるで音もなく忍び寄っていた殺し屋から、
首筋にひんやりとした銃口をつきつけられたような質感です。
(刑事ドラマを見たときの想像ですが)
声の主は、高3の娘。
わたし、ソファに寝ころんだまま、仰ぎ見るようにして「は?」
娘、立ったまま上から目線で「その大あくび、めっちゃイヤ。やめてな」
うぅわ。憎らしい言い方。なんだ、こいつ。
な、なんだ、その最後通牒を突き付けるような、
大げさに冷淡を気どった言い方は。
しかも、なんで、こっちが弛緩しきったところに
鋭利な刃物で切りかかってくるように言うのかな。
こういうときにぴったりの比喩があったぞ。
そうだ、そうだ。寝首をかく、だ。
あのね、弛緩といっても、いま、わたしは、並みの弛緩じゃないんだからね。
いわば、弛緩の絶頂期。弛緩のピーク。
古代ローマなら五賢帝時代、平安朝なら道長時代なんだから。
今まさにピークだというときを見計らって水を差す、
「不快感」という反論しにくい武器をふりかざした
クーデター的意地悪さに腹が立つ。無礼者め。
ま。家族とはいえ、「いびき」とか「あくび」とか「くしゃみ」とかに
異様に力が入っていると不快なもんですからね。
不快だったんでしょ。反省しますよ。はい。
しかし。
あーだこーだ言い返しましたけどね。
なんというかね、根本が無力。
親という存在の本質的な無力さに
「大あくびデトックス」で向きあうはめになりましたよ。
親は、子どもの「不快感」の表明には、
とことん弱い生き物ですよ。
なんでか。
そこに、子どもの「成長」と
自分に対する「客観視」を見るから。
それによる関係の変質を見るからですよ。
親って子どもに客観視されると
化けの皮がはがれますからね。
そっかー。子育てってこういうプロセスをたどるのか。
そして「お母さん、これも捨てるよ!」的
強制断捨離シーンになるのか。
あれも一種の不快感表明ともいえなくもない。
化けの皮がはがれてちょっと幻滅して、
そののち、人生経験とともに再評価・・・って感じが
一番いいんですかね~。
しかし、そこに計算できない「老化」が待ってますからね~。
なかなか、どうして一筋縄ではいきませんね。
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「若く見える」バトルは永遠なり。
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