情報番組で40代後半の男性が取材を受けていました。
20年以上、「引きこもり生活」をしていて
そのふるまいに耐えかねてお母さんが家を出、
ひとりになったという男性。
つらいだろうな。
もしかしたら見まちがっているかもしれませんが、
白いシャツを着ているように見えました。
「プライド」と「マナー」が凝縮した、
ぎりぎりの美意識とも、
礼節とも、体面ともとれる白いシャツ。
つま先立ちのフォーマルウェア。
ぎりぎりまで、つま先だって、
ブルブルと小刻みに震えている
もう若くない立脚点。
人は、そのときに持っているものしか着ることができない。
あたりまえのことを
ズシリとうけとりました。

若いころは、
生まれ育ちの裕福さかげんと
持ってうまれたセンス、
容姿に対するコンプレックスぐらいしか
表現することのなかった「服」。
それが、いつしか、
あれも表し、
これも表し、
それも表し、
どれも表し…
まるで「現在までの詳細な履歴書」と
「現時点での自分のもろもろの限界」の
総合表現みたいになってしまう「服」。
ファッション誌がいうように
着こなしの「正解」があるのかもしれないけど、
あそこにあるのは、履歴のない「新品」ばかり。
わたしが今日着るものを選び出す
クローゼットなり、たんすなりにあるのは、
何年も前に買ったもの、
数カ月前に買ったもの、
ちょっと前に買ったものという具合に、
全部に、そのときの自分が選んだ
「履歴」が刻まれている。
その選択に、
1回でもパーフェクトなときがあったかなあ。
自信なし。なかったんじゃないかなあ。
本当にほしいものを横目に見つつ、
ケチケチしながら選んだもの、
買う前にあきらめて探すこともしなかった服や小物の数々、
「ちょっと違うイメージ」になれるのでは…と
違う明日を期待して買ったもの。
それらの期待と失望と羨望の山!
ああ。わたしは、
「過去の選択と、その履歴」を着ているんだ。
数えきれないほどの「失敗」を着ているともいえるなあ。
人は、そのときに持っているものしか着ることができない。
いろいろな意味で。
そのことの「受容」から
一歩を踏み出せるのは、
人生もオシャレも同じかもしれない。
・・・なんて意外性のない結論ですが、
その自覚の先に
「今より意地悪じゃない自分」を夢見たいです。
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