壊れて使えなくなった機能があっても
すべて使えないわけじゃないから、
修理しないで、もしくは、買い替えないで
そのまま使っている、なんてことありますか。
わたしですか。
もちろんあります。
その代表格が、ビルトインコンロの
魚焼きグリル。
壊れたまんまで
もう、2年ほど経っています。
人生って
ないならないで
済むもの、多し。
とはいうものの、
一人暮らしの姉の家(わたしたちの実家)は、
お風呂のドアこそようやく新しくなっていたものの
今度は手桶が割れていたり、
台所の棚の扉が壊れていたり、
なんか、こう、ビミョーにあちこちが
「壊れたまんま」や
「代用品で済ましたまんま」になっていて
「ないならないで済む哲学」が
相変わらず、すみずみまで実践されておりました。
姉とわたしが祖先から継承した
「ないならないで済むものは、
放置したままで過ごすDNA」
どんだけ強力なんでしょうか。
しかし。
わたしは、気づいているのです。
「ないならないで済む哲学」や
「壊れたまんま、代用したまんま主義」が
日々のちょっとした快適さを
常にかすかに、しかし明らかに損なっていることを。
なんてことを思っていたところ、
友だち数人と話していたら、
「実家のお風呂のお湯が長時間たまらないけど
修繕しようと言うといやがって困る」
「母は、ファスナーの引手が壊れた洗濯ネットを
千枚通しを使って開閉している。
百円ショップでも買えるのに!」
などと口々にボヤくではありませんか。
「ないならないで済む哲学」は、
年を重ねるごとに独自の深まりを見せ、
ついには、洗濯ネットの開閉に千枚通しを動員するという
「面倒くさいから、
ないならないで済ませているはずが
別の面倒くささを発明して我慢する」という
珍妙な事態を招くのですね!
ちゃんと買おう。
ほんと、ちゃんと買おう。
姉ちゃん。そして、わたし。
そして
「だれよりも自分が、
いつも、心から寛げる快適な部屋に暮らすお年寄り」になろう。
(それって新陳代謝の積み重ね。究極の夢かもな。)
ウェブマガジン「どうする?Over40」で
「これ、買った」(仮題)という連載を始めようか、と言っているのも、
「ちゃんと買う楽しさ」を
自分が感じつづけたいからなのかもしれません。
「欲しい」と思うこと、
そして「迷う」「決める」「買う」
そして「お金を払って手に入れる」こと、
この一連の行動は、
たぶん、思っている以上にアンチエイジングの真髄。
貯金の多寡に関係のない
人生のスタイルなんだと思います。
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【関連記事】同じようなことを言っていますね。
健やかな「買い物」は、健やかな心身の証だ。
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